追悼

2020.8.30

追悼 渡哲也 不死鳥の哲よ、さらば

渡哲也
東京・調布の日活撮影所/テレビ「大都会」撮影中の取材にて(1975年11月)
 俳優の渡哲也さんが8月10日に肺炎で東京の病院で亡くなった。78歳。映画の日活で主演した「無頼」シリーズ、「東京流れ者」「紅の流れ星」、そして東映の「仁義の墓場」などのアウトローアクションのヒーローに心を躍らせた。吉永小百合と共演した「愛と死の記録」「時雨の記」などの男の佇まいも魅力的だった。テレビでは倉本聰脚本「大都会」の黒岩刑事の哀愁も印象的だった。
 1976年2月15日、大阪・中之島の関電ホールで「第1回映画ファンのための映画まつり」というイベントを開いた。現在「おおさかシネマフェスティバル」として続いている映画祭の記念すべき第1回である。その年の邦画ベストワンは東映「仁義の墓場」で、主演男優賞に渡哲也さんが選ばれた。映画祭を企画したのは筆者と、当時学生だった大森一樹、東映の映画監督だった関本郁夫の3人。渡さんの受賞は他の若手選考委員も含めて満場一致だった。
 「仁義の墓場」の撮影中の1975年に渡さんと東京の東映大泉撮影所で初めて会った。ファン気質丸出しで日活時代の話などを聞いた記憶があるが、嫌な顔一つせずいろんな撮影秘話を聞かせてもらった。「仁義―」は「無頼」シリーズと同じく藤田五郎さんの原作で、監督はぜひ組みたかったという深作欣二さん。渡さんの意気込みがひしひしと伝わってきた。終始笑顔で時折、「無頼」の主人公が松原智恵子さんに見せる照れた笑顔ものぞいて、こんな至福な時間はなかった。
 「第1回映画ファンための映画まつり」の表彰式に渡さん本人は出席できなかった。石原プロ「大都会」の撮影があったからで、渡さんは「うれしい」を連発しながら、石原プロを通じて松竹梅の一斗樽を会場に寄贈してくれた。式典出席者のひし美ゆり子さん、多岐川裕美さんらと舞台裏で鏡割りをして、式典終了後、帰るお客様に振る舞い酒をしたことを鮮明に覚えている。
 この映画祭エピソードは、当時東映京都で活躍し、仲良くさせてもらっていた実弟の渡瀬恒彦さんに報告。彼が「神様のくれた赤ん坊」で「第6回映画ファンのための映画まつり」(京都の京一会館於)で主演男優賞を受賞したときのエピソードも述べておきたい。渡瀬さんは「翔んだカップル」で主演女優賞の薬師丸ひろ子さん、新人監督賞の相米慎二さんと楽屋裏で歓談し、翌年の「セーラー服と機関銃」のドッキングにつながったのである。
 渡瀬さんは2017年3月に兄より先に逝った。享年72。映画スター・渡哲也の素晴らしさについて渡瀬さんとよく話をした。仲がいい兄弟だった。今頃は、2人が好きだった深作監督と3人で飲み会をやっておられるのではなかろうか。不死鳥の哲よ、さらば。あらためて心からご冥福をお祈りいたします。

実行委員長 高橋聰